最近、Vaundyという若手が注目されている。
『東京フラッシュ』
そしてSano ibukiが映画「僕らの七日間戦争」の主題歌を担当した。
『決戦前夜』
うん、BUMP OF CHICKENや米津玄師っぽい。
音楽関係者・評論家(自称も含む)が、なんとか語彙力を総動員して、
「彼らにしかないオリジナリティ」を探って言葉にしているけど、
でもやっぱり聴く人はみんな素人。
なんとなくKingGnu好きな人がVaundyを好きになるし、
なんとなく米津玄師好きな人がSano ibuki好きになる。
別にそれで困る人は本来いないんです。
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もちろん僕もインディーズを紹介するとき「◯◯っぽい」とは使わない。
じゃあその◯◯聴けよってなるから。
そもそも◯◯っぽいバンドは紹介しないし。
たださっきのVaundyとSano ibukiにはあえて使いました。
Vaundyにはもっとこれからユーモラスかつキャッチーな音楽を、
Sano ibukiには藤原基央や米津玄師との違いが誰でも一言目で分かる歌詞を、
今後絶対作るというのが聴いた本音で、来年には「◯◯っぽい」の声のないアーティストになって、音楽の新境地を拓く自信があるのでご安心を。むしろVaundyの他の曲はRADのエッセンス。
そしてこの自信をこの2人からも聴いてたり、MV見てるとヒシヒシと感じるんだよね。
◯◯っぽいって思われることなんか些細すぎてどうでもいい。むしろちょっとMVはオマージュすらしてない?
本音は知らないし、そりゃあるアーティストの劣化コピー扱いされて怒らない人はいないんだけどね。
でもそこを気にしすぎる方々も伸びてないよなぁというのが、
YouTubeや様々なプラットフォームが定着していった時代を経験した、1音楽リスナーの感想です。
「ああいう批判がくるかも……」
と、現代社会に頭ぐるぐるさせすぎて、
結果、当たり障りのない歌詞を、普通の大声で歌うだけのバンドに成り下がって終わってしまうのは、なんでもできるはずの現代に、なんでもできないという縛り縄を自分で巻いてるようにしか見えない。
縛りつけてくる外野も多い。はぁ
その不安というのは実はファンにも伝わるものなのです。
「自由とはなんぞや」っていうのは、
最近のあいちトリエンナーレのなんやかんやで活発に議論されてますけど、
自分のおかれてる環境で最大限の努力を他人を傷付けないようにすることじゃないかと思いますね。
だから◯◯っぽいとか、ルーツが何とか、ビジュアルがどうとか、実家が金持ちとか、そんなんが音楽の目眩ましになるなんてこと、本来はないはずなんですよ。
そういうことを気にするのは、なんというかやっぱりお金とか、名声みたいなのが、願望として先に来ているから、無駄に気を遣ったり、気を遣えないやつは自爆してると思います。
そういうことにとらわれず、少年少女の気持ちのまま、やりたい音楽をやり通す。
そんで持ち前の歌声などの個性と環境としてあるもんは全部利用する。
その一つ一つの積み重ねが陽を浴びる。
最近はそれに「バズる」というあまりにも安易な言葉を使ってしまいますが、
「バズる」とか「◯◯っぽい」とか「顔で売れた」とか、そんなもんを笑い飛ばし、逆手に取りながらも、努力と態度で諌めることができる人が、
業界問わず現代のスター像なんだろうなーと思うわけで、
やっと話を戻すけど、VaundyやSano ibukiに感じてる音楽の謎のスケール感と期待感の正体がコレなんだと思います。あと純粋に歌が上手い。
誰かに名付けられた言葉に踊らされてるようじゃ、新世代のアーティストになれませんもんね。彼ら中心にもっと「バズる」は死語になっていきますよ。それは既にAliA、UMEILO、秋山黄色なんかからも感じますけどね。
彼らの曲のクオリティの中に潜む、自然と自作の言葉や表現を、この世に植え付けていくことの期待に僕らは今、猛烈なパワーで突き動かされつつあるのです。
だから、僕らファンもあまりネットの出自の分からない言葉に惑わされないようにしないとね。
そして、話をややこしくするかもしれませんが、今、ブレイクしそうなバンドほど、YouTubeの使い方も新しいですが、それはまた別の機会に。
それでは、この辺で