邦ロック最前線情報局

元地方勢の目線から、邦ロックの最前線を

BUMP OF CHICKENは、もうBUMP OF CHICKENじゃないのか。

f:id:sakidoriyutsubarock:20190906020215j:plain



実は今更、『aurora arc』聴いたんです。
物理的にCD聴けない状態続いてて、この8月下旬についに復活したので。

でもどこか新作、期待してなかった。
だから多分、万全の状態でもすぐに入手してなかったと思う。

話が一転しますが、僕はRADWIMPSでバンドという世界を知った。つまり原点。
で、その次に聴き出したのが、BUMP OF CHICKEN
どちらも13年前の中2から聴き続ける大好きなバンドです。

そして邦ロックを聴くうちに、好みとしてRADWIMPSのような、ヒップホップではないけど、早口な言葉遊びをしたり、
凛として時雨神聖かまってちゃんのような、メロコアとは違うけど、過激なバンドスタイルを好んでいく傾向があった。
あとはアルカラとかTheMirrazとかね。
そして今やメチャクチャインディーズを漁るマンになって、新たな「衝動」や「才能」「アイデア」を探し続けている。


ーーーー


そんな中でBUMP OF CHICKENはどんどん「綺麗に」上昇していった。
個人的には『ray』あたりからだろうか。
リリースされる曲、リリースされる曲、アリーナ映えする壮大な曲が増えた。
そこから発する音も間違いなく僕を救ってくれたし、今作までのアルバムも聴いてるし、ドームのライブも行ってるから、
もちろんいい意味でなんだけど、それはそれはレベルの高い重厚さで、少し置いてかれた気がした。

インディーズも応援する者として、
「最終的にロックバンドってそうなるの?」って思った。
ハイレベルすぎる。正直、8000円の料理と10000円の料理を食べ比べている感覚。分からないことが、増えた。

そりゃ知ったときには『花の名』をリリースしてた頃だから、既に遠い存在ではあったんだけど、「え!?まだ行くの!?行ってしまうの!?」と太陽系の彼方に行ってしまったのだ。

もちろんそこには『Title of mine』の頃のような、血反吐の匂いが充満してるような暗い部屋で、不健康に生命の限りを懸けて、物語を作るような藤原基央が、出す曲出す曲タイアップが付いて、常にMVやライブで絢爛な装飾をまとっているのも無関係ではないだろう。
もしかしたら、BUMP OF CHICKENには鳴らしたい音はもうなくて、
企業案件に沿って、相手のことしか考えてないミュージシャンになってしまったんじゃないかって。
なんだか最近オーイェイアハンより、シンガロングのほうが多いし。


でもまぁBUMP OF CHICKENは、もう伝説のポケモンみたいな存在。
圧倒的な力量で神々しくロックシーンに君臨しなきゃいけないのかな。
それで彼らが彼らなりのゴールがあるなら、それを目指してほしい。

もう僕も少年じゃないし。
でも、ちょっと寂しい……


ーーーー


しかし今回のこのアルバムを聴いて、その不安は消えた。
BUMP OF CHICKENはタイアップの単発、単発で120%の成果を出しているように見えて、
その一つ一つを綿密に、繋がりをつけて、1つのアルバムに正当化させていた。

例えるなら、1曲1曲がRPGゲームのステージのよう。アルバムなら繋がりがあるのが普通かもしれないが、こういう少年的な例えが出せるのも嬉しい。
その村や町やダンジョンで成長していく主人公がたしかにいて、しっかり『流れ星の正体』でエンドロールを迎えていた。
ざっくり感じたストーリーは、何でも願いを叶えるオーロラを見るために冒険に出た少年の話かな。
だから、そんなわけないけど、聴く初めと聴き終わった後でアルバムジャケットが変わって見える。
夜が夜明けになったような、探していたオーロラの意味合いが変わった感覚。

RPGゲームの主人公というジュブナイル性は、アニメ主題歌が多いことの副産物かもしれないが、他のタイアップの『記念撮影』や『新世界』、タイアップではない『ジャングルジム』も、その世界に偶発的でなく沿って流れてくるのだ。

そして伝えたいこと。
これは絶対構想していた。
全ての曲が『aurora arc』に直結するように。
あのタイアップ曲も、
あのタイアップ曲も、
全ては『aurora arc』の主人公が出会うべきキャラクターだったということ。

だからこそ、
「この物語を創りあげて伝えたい!」
というBUMP自身のワクワク感が過去一番強く感じた。

そこにあるのは、「いつまでもBUMP OF CHICKENは4人組ロックバンド」という奇跡のような当然の事実。
曲に4人の手垢がベッタベタに付いていて、そこに4人の制作中の会話が聞こえるようで、それだけで「あぁ、まだBUMP OF CHICKENは楽しんでやってるな」という安心を覚えた。

でも立場上、曲のクオリティと高貴なカリスマ性を失うわけにいかない。
こことチャレンジ精神の折り合いがしっかりついたアルバムに感じたのだ。
これでBUMP OF CHICKENが新たなステージに進んだと思った。


届きながら、カリスマであり続ける。
ベテランバンドになったら、逆に素朴さや、熱量、ユーモアで「昔から変わらないよ」というのをアピールする方々も多い中、
BUMP OF CHICKEN変わり続けることを選択した。

そりゃもうchickenと呼ぶには強すぎるかもしれない。
でも弱い立場の人が、一念発起して立ち上がろう、一撃やってやろうとする顔と、高いレベルだけども、まだまだ同じ顔してて、同じ方向を彼らも向いてる。

一般的な「BUMP OF CHICKENらしさ」というものはもう幻想になっていて、こっちが勝手に押し付けていたものだったことと、
でも、その根底の様々な戦ってたり、チャレンジする感情を理解するには、十分すぎるほど大好きなままのBUMP OF CHICKENが届く1枚だった。



ーーーー

BUMP OF CHICKENはこれからも僕らを置いていくように見えるかもしれない。
しかし、必ずや僕らに進んできた先で見つけた宝物を、これからも教えてくれる、変わらぬBUMP OF CHICKENが今後もいてくれるはずだ。